奈井江町のSchool(旧)学校
学校のはじまり
1891年(明治24年)ごろになると、奈井江に移り住む人々が多くなるにつれて、子どもの数もふえ、その教育をどうするかが、人々の大きな悩みでした。
1892年に香川県から移てきた折目初太郎さんが、その年の11月から1年間、15号西1線の自分の家に近所の子ども4・5名を集めて読み・書き・そろばんを仕事のあい間に教えました。
その後、町の中にあるお寺や高島地区にあるお寺で、子ども達の教育が行われるようになりました。
このように他の開拓地と同じように、奈井江の学校は寺小屋しきからはじまりました。
社会科副読本 ないえ 奈井江町教育委員会より

里山林道から見た奈井江町

ないえ懐かし旧学校たち!
奈井江小学校は1895年(明治28年)に「私立奈井江小学校」として始まりました。
「私立」とよばれたのは、地域の人達が、子どもたちによりよい教育をうけさせようと、いろいろと相談して、お金を出し合ってつくったからです。1896年(明治29年)に村のお金で運営する公立の「奈井江尋常小学校」となり、駅ていのたてものを利用していました。1900年(明治33年)に学校は13号にうつりました。このころの学校は4年間の義務教育でしたが、1906年(明治33年)には高等科3年ができて「奈井江尋常高等小学校」になりました。義務教育が6年間になったのは1908年(明治41年)からです。 明治のころの子どものふくそうは、「もめん」の着物でした。冬は「きゃはん」をつけていました。
子どもの夏の履物は、家で作った「ぞうり」で、冬はわらであんだ「つまご」などでした。勉強道具は「ふろしき」につつんで持ちました。また、1898年(明治31年)に大和に「南九号西簡易教育所」が1901年(明治34年)には白山に「南九号東簡易教育所」ができましたが、1909年(明治42年)に「奈井江尋常小学校南九号分教場」になりました。そして、1934年(昭和9年)に「白山尋常小学校」になりました。
社会科副読本 ないえ 奈井江町教育委員会より

子どもの夏の履物は、家で作った「ぞうり」

冬はわらであんだ「つまご」

勉強道具は「ふろしき」につつんで持ちました
ないえ懐かし旧学校たち!
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ないえ懐かし旧学校たち!
昭和に入ると、日本は少しずつ、戦争の時代へと進んでいきました。そのため、いろいろな工場でたくさんの石炭を使うようになりました。奈井江ではたくさんの炭鉱がひらかれ、奈井江に移り住む人々の数が多くなり、子どもたちの数もふえました。そこで1939年(昭和14年)に東奈井江の地区に、1940年(昭和15年)に住友地区に奈井江尋常高等小学校の分教場ができました。 1941年(昭和16年)4月に尋常小学校を「国民学校」とあらため、それぞれ「奈井江国民学校」「白山国民学校」「東奈井江国民学校」「住友奈井江国民学校」になりました。住友奈井江国民学校では、子どもが多くなって教室がたりなくなり、低学年が帰ったあとに高学年が登校して勉強をすることもありました。
1945年(昭和20年)8月に日本が戦争に負けると、社会のしくみがいろいろとあらためられ、「奈井江小学校」「白山小学校」「住友小学校」「東奈井江小学校」というようになりました。 石炭があまり使われなくなってくると人々の数のへりはじめ、子どもの数も少なくなりました。そのため、1974(昭和49年)には住友奈井江小学校、東奈井江小学校、奈井江小学校が1つになり、今の場所に学校が建てられました。そして、1988年(昭和63年)4月に白山小学校が奈井江小学校に統合されました。
社会科副読本 ないえ 奈井江町教育委員会より
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